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元治元年9月10日(1864年10月10日)
【京】一橋用人黒川嘉兵衛、越前藩中根雪江に対し、将軍進発について関東のいうことは信用できないため、建議を実行するよう勧める。
【坂】大坂町奉行松平信敏、軍艦奉行勝海舟に対し、幕政における老中諏訪忠誠の専横を語る。

☆京都のお天気:陰晴不定入夜雷電白雨 (『嵯峨実愛日記』)

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■将軍進発・江戸の内情(by一橋用人黒川嘉兵衛)
【坂】元治1年9月10日、一橋用人黒川嘉兵衛は、将軍進発について質した越前藩中根雪江に対し、関東のいうことは信用し難いので、先日来の越前藩の計画通り江戸へ建議を決行するよう述べました。

〇この日の中根と黒川のやりとり(てきとう訳)
中根 昨日、(越前藩士)本多修理・島田近江が、永井主水正(=大目付永井尚志)から、大樹公上洛の御支度は当月13日までに整備されるので遠からず発途されると承ったが、このことに相違ないか。
黒川 最近上京した大久保紀州(=大目付大久保忠宣)がそのように申しているが、決して信用し難い。関東の諸役人は、このところ、戊午(=安政の大獄)の頃に要路に当られた彦根(=大老井伊直弼)・間部(=老中間部詮勝)などの「挑灯持(提灯持)」ともいうべき人々のみなので、御支度は整備もするだろうが、畢竟名聞のためで実際は言を左右に託し、決して御発途にはならないだろう。されば、先日来計画されている通り御使者を関東へ遣わされる件は、ぜひとも御決行を希望する。

※征長総督が確定しない中、副将・越前藩主松平茂昭は9月6日に着京(こちら)。翌7日に禁裏守衛総督一橋慶喜・老中稲葉正邦を訪ねると、総督確定・将軍上洛を説きました(こちら)。8日、越前藩重臣は、会津藩の働きかけもあり、江戸に使者を送って将軍上洛を建議することを決めましたが(こちら)、その前に慶喜の内意を確認することとし、9日、藩士本多・島田が9日慶喜を訪ねました。黒川が応対し、建議は「大いに然るべし」と賛同しましたが、同じ日、一橋邸で行き会った永井は将軍進発が近いと述べていました(こちら)

<ヒロ>
慶喜、越前藩だけでなく、黒川自身も安政の大獄で憂き目にあっているので、容赦ないです・・・。

参考:「征長出陣記(枢密備忘)」『稿本』(綱要DB 9月8日条 No7)(2018/5/28)

■征長総督問題
【京】元治1年9月10日肥後藩留守居役上田久兵衛は、大目付永井尚志から、前尾張藩主徳川慶勝が来る15日に出立・上京を内定したことを聞き出しました。

尾州老公は総督辞退をお願いになっていたが、去る4日、関東から辞退は許可しない旨の御沙汰があったようで、老公も御所労ながらお受けすることを御内定になり、そのことを京都御詰の御役々に御届があったと承っていた。しかしながら、稲葉閣老が上使として尾州老公へ総督を御請けになるよう御勧めになる予定で、永井様・戸田様と11日日頃に御発足との御予定ときき、その御届があったので、上使の件は必要なくなったのでは、と疑わしく思い、昨10日に永井様へ参上して伺った。永井様のお話では、・・・一昨夜、尾州より稲葉閣老へ御使者が遣わされた。その趣旨は、老公は19日の変動後、天機を伺うため是非御上京の御存念だったが御病気のため出来かねていたところ、御総督の件を命じられたので即御断りを仰せあげられた。御病気とはいえ、御国許に引きこもって御断りを仰せ立てられるのは、何かと、天朝に対し、幕府が御心痛になられているところ、近日少々御快方になったので、来る15日の御発途を御内定になったとのこと。上使もその御登京を待ち受け、当地で御勧めすべしと決したとのこと。(上田久兵衛書簡のてきとう訳)

<ヒロ>
越前藩にはこの情報、伝わってたのでしょうか??

参考:元治1年9月11日付藩庁宛(肥後藩留守居役)上田久兵衛書付草稿『幕末京都の政局と朝廷』p25-26(2018/6/3)

■江戸の内情(by新任の大坂町奉行松平信敏)
【坂】元治1年9月10日、大坂町奉行松平信敏は、軍艦奉行勝海舟に対し、幕政における老中諏訪忠誠の専横を語る。

勝の日記によれば、信敏は、関東では「小人事を採り、定論聊かなく」、老中諏訪忠誠が「大平無事を以て頗る権威」があり、彼に阿ねる者が用いられ、議論が有るものは退けられるといった「誠に大息する形勢」と述べたそうです。

※勝海舟は、前9日、海路大坂に到着した老中阿部正外と会うため、上坂していました。信敏は、大坂町奉行に9月5日に着任。前職は御書院番頭です。(ただし、勝の日記の8月24日条に出てくるので、大坂自体にはそれより前に来ています)

参考:『勝海舟全集1 幕末日記』p165(2018/5/28)

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