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☆京都のお天気:陰晴不定入夜雷電白雨 (『嵯峨実愛日記』) >第一次幕長戦へ ■将軍進発・江戸の内情(by一橋用人黒川嘉兵衛) 【坂】元治1年9月10日、一橋用人黒川嘉兵衛は、将軍進発について質した越前藩中根雪江に対し、関東のいうことは信用し難いので、先日来の越前藩の計画通り江戸へ建議を決行するよう述べました。 〇この日の中根と黒川のやりとり(てきとう訳)
※征長総督が確定しない中、副将・越前藩主松平茂昭は9月6日に着京(こちら)。翌7日に禁裏守衛総督一橋慶喜・老中稲葉正邦を訪ねると、総督確定・将軍上洛を説きました(こちら)。8日、越前藩重臣は、会津藩の働きかけもあり、江戸に使者を送って将軍上洛を建議することを決めましたが(こちら)、その前に慶喜の内意を確認することとし、9日、藩士本多・島田が9日慶喜を訪ねました。黒川が応対し、建議は「大いに然るべし」と賛同しましたが、同じ日、一橋邸で行き会った永井は将軍進発が近いと述べていました(こちら)。 <ヒロ> 慶喜、越前藩だけでなく、黒川自身も安政の大獄で憂き目にあっているので、容赦ないです・・・。 参考:「征長出陣記(枢密備忘)」『稿本』(綱要DB 9月8日条 No7)(2018/5/28) ■征長総督問題 【京】元治1年9月10日、肥後藩留守居役上田久兵衛は、大目付永井尚志から、前尾張藩主徳川慶勝が来る15日に出立・上京を内定したことを聞き出しました。
<ヒロ> 越前藩にはこの情報、伝わってたのでしょうか?? 参考:元治1年9月11日付藩庁宛(肥後藩留守居役)上田久兵衛書付草稿『幕末京都の政局と朝廷』p25-26(2018/6/3) ■江戸の内情(by新任の大坂町奉行松平信敏) 【坂】元治1年9月10日、大坂町奉行松平信敏は、軍艦奉行勝海舟に対し、幕政における老中諏訪忠誠の専横を語る。 勝の日記によれば、信敏は、関東では「小人事を採り、定論聊かなく」、老中諏訪忠誠が「大平無事を以て頗る権威」があり、彼に阿ねる者が用いられ、議論が有るものは退けられるといった「誠に大息する形勢」と述べたそうです。 ※勝海舟は、前9日、海路大坂に到着した老中阿部正外と会うため、上坂していました。信敏は、大坂町奉行に9月5日に着任。前職は御書院番頭です。(ただし、勝の日記の8月24日条に出てくるので、大坂自体にはそれより前に来ています) 参考:『勝海舟全集1 幕末日記』p165(2018/5/28) 関連:テーマ別■第一次幕長戦(元治1) 【江/横?】仏国全権公使ロッシュ、長州藩士八人(井原主計・杉徳輔・伊藤俊輔等)が外国艦に便乗して横浜に来たことを幕府に報知。(綱要) |